帆船とガレー船
 帆船の歴史は古く、紀元前4000年以前のエジプトの陶器の挿し絵に「風を受ける帆を備えた船」の存在を確認することができます。ヨーロッパの帆船の歴史を追って行くと、その源流はバイキング船を起源とする「北方船」とローマ商船を起源とする「南方船」の二つの系統があります。北方船と南方船はそれぞれ独自の進化を続けてきました。

 北海やバルト海で使われた北方船の特徴は、船首と船尾が同じ形にシェイプされた両頭型の船型と、船体の骨格に外板を重ね合わせるように取り付ける鎧張りの構造にあります。ハンザ同盟都市間の交易に活躍したコグがこの典型例です。

 それに対し地中海に見られる南方船は船首と船尾が明確に区別されていて、船首は細くシェイプされ、船尾は鈍角に丸めてあるか切り落としたような形状になっています。また、南方系のもうひとつの特徴にラティーンセイルと呼ばれる三角形の縦帆があります。この三角帆はもともとはイスラム商人のダウ船に使われていたものが、地中海でのイスラム教徒との交易によってヨーロッパに伝わっていったものと考えられます。これらの代表例として丸船やキャラベルといった船種があります。

 レコンキスタによってジブラルタル海峡をヨーロッパ船が自由に通行できるようになると、 地中海と北大西洋の諸都市との交易が盛んになっていきます。北方船と南方船がお互いを往来するなかでその設計思想も融合していき、キャラックやガレオンといった全装帆船が登場します。


<帆船の歴史>
<帆の種類について>




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バルシャ〜barca〜

 大航海時代Onlineで最初に支給される船バルシャ(barca)は、今日的な意味としては小型帆船やボートを指す言葉になります。このバルシャ、あるいはバルカという言葉は、キャラベルやキャラックの登場以前、古くはレコンキスタの頃から、30トン程度の1本のマストの小型船として海洋史に登場します。

  大航海時代のポルトガルでは、バルシャは地中海での近距離交易のほかに初期の探検にも用いられていたとあります。エンリケ航海王子による西アフリカ航路探索の口火を切った1434年の「ボジャドール岬越え」を果たしたのもこのタイプの船です。


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コグ 〜Kogg〜 


メリーフォーチュナー
国籍 イギリス/進水1300年頃/全長 26m/全幅 6.7m/排水量 132t/武装 -/乗組員 28名
 


2本マストコグ
 コグは北方のバイキング船の流れを汲む中型の帆船で、13世紀〜15世紀にかけて、主にヴェネチアやハンザ同盟都市などの近距離貿易でつかわれました。
 船体は外板を重ね合わせながら張る「鎧張り」といわれる船体構造になっていて、船首と船尾はヴァイキング船の両頭船のように細くシェイプされ、戦闘用の塔楼が増設されていました。基本的にマストは1本ですが、後期にはマストを追加した2本マストコグも見られます。北大西洋で使われたコグには四角か台形の横帆が張られ、後に地中海でもコグが使われるようになると三角形の縦帆つけられるようになります。船体の長さは25〜30m、30人程度で運用できる軽快な船でした。

 造船歴上の大きなポイントとして、コグの時代に船尾舵の形が完成されていったことがあげられます。最初期の舵は船尾両舷に1本ずつ吊るされたただのオールで、曲がりたい側のオールに水を受け抵抗をつくることで旋回する構造になっていました。12世紀の終わりごろ、船尾中央に固定された船尾舵が発明されドイツやオランダで広まります。この船尾舵の取り付けに最適化されるように、船尾の形状も変化していきます。

 コグは商用輸送用の他に軍船としても利用されています。この時代の海上戦は接舷斬り込みが一般的で、鎧兜の兵士達は船首と船尾の塔楼やマスト上の見張り台からクロスボウを射かけたり、テラコッタの壺に硫黄や硝石を詰めた「ギリシアの火」の投擲を行ったりしていました。ただ、後期には石弾を投射する大砲も搭載したものもあります。1255年のヴェネチアの海事規則ではコグ船は大きさに応じて自衛用のボンバード砲(初期の石弾大砲)4〜8門を搭載しなければならないとされていました。


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キャラベル 〜Caravel〜


ニーニャ
国籍 スペイン/進水 不明/全長 21.4m/全幅 6.4m/排水量 52t/武装 −/乗組員 20名

 
 キャラベルは15世紀頃のポルトガルで沿岸輸送船や漁船をベースに開発された船です。エンリケ航海王子が発明したという説もあります。ただ、キャラベルの開発と成立の経緯についての資料はほとんど残されていません。これはポルトガルがキャラベルの造船技法を国家機密として厳重に秘匿したためです。キャラベル船は当時の最新の技術を詰め込んだハイテク兵器のようなものだったのでしょう。
 キャラベルの最大の特徴は船体からそびえる3本のマストです。カラックなどが3本マストのうちの中央にメインマストを配置しているのに対し、キャラベルは最前列に最も大きなメインマストを配置します。そしてその後ろに中型の第2マスト、船尾近くに小型の第3のマストを立てます。そして、これらのマスト全てに大三角帆(ラティーンセイル)を張っていました。後に、4本目の四角い横帆用のマストを船首に追加したものが作られるようになります。

 ポルトガルが喜望峰ルートを開拓し、キャラベルが外洋を航海するようになるにつれ、キャラベルのメインセイルを横帆に換装したものが登場するようになります。こうした長距離貿易船をレドンダキャラベルと呼びます。
 キャラベルのもうひとつの特徴として「平張り」の船体構造が挙げられます。キャラベルの外板は肋材に平坦に並べて取り付けられていたのですが、これはローマ商船の造船法を受け継いだものです。
 キャラベルは初めての本格的な外洋航海船で、アメリゴ・ヴェスプッチやバスコ・ダ・ガマの探検船もキャラベルが使われています。キャラベルはキャラックと共に大航海時代を切り開いた船体です。


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キャラック 〜Carac〜


グランデフランソワーズ
国籍 フランス /進水 1535年/全長 41m/全幅 7.1m/排水量 1124t
/武装 青銅キャノン砲120門 /乗組員 船員278名 兵員320名

 
 キャラックは北方船の横帆と南方船の平張り船体の双方の流れを受け継ぎ、15世紀に南西ヨーロッパで登場します。「キャラック」という名はアラビア語で「商船」を意味する単語から来ています。
 主な特徴としてはフォア、メイン、ミズンで構成される3本のマストを持つことです。フォアマストとメインマストには横帆が、ミズンマストには縦帆が用いられていました。後に船体が大型化するに従って4番目のマスト(アフタミズンマスト)が、ミズンマストのさらに後方に追加されます。

 船型は丸みを帯びたずんどうなシルエットで、大きさは200t程度の小型船から1000tを超える超大型のものまでありました。乗組員も50人程度から兵士と船員合わせて1000人に達するものまで多岐にわたります。
 この船型は舷側に大砲を並べた最初の船でもあります。キャラックはその積載力を生かして軍用商用の両方に活躍し、新世界探索にも用いられるなどオールマイティーに任務をこなしました。コロンブスの乗艦サンタマリア号もキャラック船です。スペインの「ナオ」と呼ばれる船型もキャラックのバリエーションの一つです。


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ガレオン 〜Galleon〜


サンマルティン
国籍 スペイン進水 1567年/全長 37.3m/全幅 9.3m/排水量 1000t/武装 18ポンドカルヴァリン砲18門、9ポンドデミカルヴァリン砲22門、小型手砲8門、突撃カルヴァリン砲4門/乗組員 船員117名、兵員300名
 ガレオンはキャラックの発展型で、より大型され、武装と積載量を増強した軍用艦です。

 マストの数は3〜4本で、その構成はキャラックと同じように横帆と縦帆が組み合わせられました。船尾に高い楼閣を備えていることや、船尾形状が切り落としたように四角くなっているのが外見上の大きな特徴になります。

 当時「最も戦闘に適した船」として設計されたガレオンの主な用途は、舷側を向けあっての敵艦との砲撃戦でした。アルマダ海戦において無敵艦隊の主力を成していたのもこのガレオン船で、16世紀半ばから100年間、文字通りに無敵を誇っていました。
 ガレオンには砲甲板が設けられ、カルヴァリンやデミカルヴァリン砲といった重砲が据えられます。また城のようにそびえ立った船首楼と船尾楼には小型砲が配備され、至近距離に迫った敵艦の兵員に向けて散弾を撃ち込みました。

 船首には細かな彫刻が施された衝角(ラム)が取り付けられていたのですが、この衝角はガレー船の攻撃兵器としての性格は残っておらず、マストを支えるだけの役割しかありませんでした。
 本来、ガレオンとは「大型ガレー」を意味するはずだがその語意で使われたことはありません。しかも同じ船が「ガレオン」「ガレアス」「ガレー」「バーク」と様々な名称で呼ばれているため、用語としては混乱しています。

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戦列艦 〜Ship of the line〜

  戦列艦はイングランド海軍による軍艦の区分用語です。海戦術が進歩し、それまで各艦ごとにばらばらに機動して砲撃戦をしていたものが組織戦に移行します。そうしたなか縦一列に連なる艦隊を編成して敵艦群に側面を向け、一斉射撃を持って撃沈する戦法が編み出されました。
 こうした戦法には艦隊を構成する各艦が一糸乱れぬ統一行動をする必要があります。そのためにそれまでまちまちの規格で作られていた船の規格を画一化したものが戦列艦です。当時、戦列艦は100〜80門の砲が搭載されることとされ、砲門の数によって1等戦列艦〜3等戦列艦に等級が与えられました。
 戦列艦の特徴としては、ガレオン船にそびえ立っていた巨大な船首楼と船尾楼が無くなり、船首から船尾まで平坦な艦型になったことがあげられます。ガレオンの船楼はそもそも接舷戦闘用に作られたものだったのですが、大砲の射程の増大によって交戦距離が広がったため、トップヘビーで舵の効きを悪くするだけの船楼は無用の長物になってしまったのです。
 海兵隊員を減らす一方で戦列艦にはより多くの砲兵が乗り込むようになります。2〜3層の砲甲板に大量の大砲が並べられ、砲弾だけで大型艦を沈められるほど強力な砲撃が可能になりました。

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フリゲート/コルベット〜frigate/corvette〜


  戦列艦の時代に登場した、上下2列の砲甲板に28門〜60門の砲を搭載した小型〜中型の快速船です。海戦でも戦列には組み込まれず、主力艦の護衛にあたったり沿岸警備に借り出されたりと今日で言う巡洋艦の役割に相当する艦種でした。

  コルベットは平甲板に1列の砲甲板を持つフリゲートよりさらに小型の軍用艦です。


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フーカー/フリュート/ピンネース




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ダウ/サムブーク





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ガレー〜galley〜

 ガレー船の歴史は古く、紀元前の古代エジプトにおいて既に使われていました。その後地中海の海洋民族であるフェニキア人やギリシア人に余って改良され、この時点で細長い船体や船首にとりつけられた衝角といった基本的な構造が完成されます。

ギリシャ/ローマのガレーと中世以降のガレーとの違いは、オールとオールの漕ぎ手が何層にも重ねて配置されていることです。オールの漕手が多層配置されたのは、ガレーを軍船として使いはじめたことと大きな関係があります。重い船体を高速で敵船に衝突させる衝角戦術のため、ガレーは次第に大型化していきます。それに伴ってより大きな推進力が必要とされ、そのための漕手とオールを狭い船内スペースに効率的に詰め込むアイディアとして漕手席の多段構造化がされていきます。
なお、オール漕手が上下2段に配置されている船をバイレム(二段櫂船)、3段に重ねて配置されている船をトライレム(三段櫂船)と呼びます。当時の記述によれば「七段櫂船」なる超巨大船まで存在したということですが、これではオールが絡み合ってしまってまともな運用が不可能であるはずで、1本のオールをn人の漕手で持つ事で「n段櫂船」と呼称していたようです。
また、マストに掲げられる帆にも差異があります。ギリシア時代のガレーは三角帆ではなく四角い横帆が用いられています。

中世以降でもガレー船は軍船に最も適した船として広くつかわれます。
(つづく)
 




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ガレアス〜galleas〜


 


 
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