大航海時代の歴史背景

 ヴェネツィアの繁栄と凋落  2
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 中世における地中海交易史
 交易品


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†ヴェネツィアの繁栄と凋落1

難民キャンプから交易拠点へ
 ヴェネツィアのはじまりは5世紀初頭までさかのぼります。
 この頃のヨーロッパでは、後に西ローマにとどめを刺すことになる「ゲルマン人大移動」がはじまっているのですが、そのさなかの西暦にして421年。うじゃうじゃと押し寄せてくる汚い野蛮人・ゴート族は、ついにアドリア海周辺のローマ都市にも迫ってきます。街を守る精強な軍隊はもはやなく、住民たちは絶望して恐慌状態、司祭は神に祈りをささげます。すると天から一条の光が差し「海のほうへ逃げなさい」との主のお言葉が。
 で、いってみるとそこはポー川の河口近くの、葦が一面に茂った干潟(ラグーナ)だったのです。

 お告げを信じて逃げてきた避難民たちはさぞやがく然としたでしょう。
 当時、沼地や干潟に街を作ることはほとんど自殺行為でした。なぜなら、淀んだ沼や沢に排水や排泄物が投げ込まして腐敗すれば、そこにハエが飛びゴキブリがわきネズミが繁殖してそのまま疫病の発生源になるからです。
 そんな最悪の土地ではあったのですが、神が「約束の地」だというし、この年の3月21日に避難民たちはここへ「リアルトの聖ジャイモ教会」を建設します。これがヴェネツィアのはじまりになります。
 その後に文化と交易の中心となる大都市の第1歩は、言ってみれば難民キャンプの仮設住宅でした。主要な産業は近海漁業の魚と塩だけ。素寒貧の田舎漁村です。

 ゴート族の来襲からなんとか逃げ延びたアドリア沿岸の都市住民はその後も、フン族、ヴァンダル族、ランゴバルド族と次々と異民族たちの襲撃をうけるようになります。
 そのたびに彼らはヴェネツィア難民キャンプへと逃げ込み、そのまま定住を決意した亡命者によって次第にヴェネツィアの人口は増えていきます。

 6世紀後半になると、腕利きの職人や有力な商人の移住者もやってくるようになり、そうした有力者の集団指導体制による政府らしきものつくられます。
 経済的にも零細漁業から商業へと発展をとげ、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルまで船を出すようになります。800年にシャルルマーニュ大帝が戴冠し、神聖ローマ帝国が成立すると、彼らとも協調関係を取り付け、神聖ローマの首都へも交易商が出かけていくようになります。

 こうしてヴェネツィアは交易都市として必要な基礎体力は徐々に整えつつあったのですが、さらにもう1歩現状のカラを破って都市国家にためには必要なものがありました。
それが都市としての風格と名声でした。



聖マルコはラグーナの街へ降臨す
 カトリック圏のヨーロッパの都市はどんな立派な守護聖人を抱えているか、すなわちどんな立派な聖遺物があるかによって街の風格と伝統が決まっちゃったりする側面があるのですが、仮設住宅がそのまま街になっちゃったようなヴェネツィアにはろくな聖人がいないのです。
 ちなみに最初のヴェネツィアの守護聖人・聖テオドルスはギリシャ人の兵隊さんで、ワニをふんづけたおっちゃんの姿をしています。
イマイチです。

 828年、地中海を越えて超大物クラスな聖人がやってくるという、奇跡のような事件が起こります。

 あるとき、トリブーノとルスティコという二人のヴェネツィア商人が、ご法度を破ってイスラム圏のアレクサンドリアへ密貿易に向かいます。ところが現地ではちょうどカリフによるキリスト教徒への略奪の嵐が荒れ狂っていて、アレクサンドリアの僧院も今まさに暴徒に囲まれんとの危機にありました。
 僧たちは困り果てています。なぜなら、マズイことにこの僧院にはあの福音書を書いた超大物の聖人マルコの遺骸が祀られて、敬虔なキリスト教徒としては何としても聖人の遺骸を異教徒の侮辱から守らねばならなかったからです。
 そんなわけでトリブーノとルスティコは僧たちから遺骸を託されるのですが、二人はいやいやタダ貰うのも気が引けるしと、いくばくかの金貨を僧たちに握らせると、手押し車に満載した豚肉の山にマルコの遺骸を紛れ込ませて僧院を脱出します。
 ほどなくしてふたりは王様の軍隊に道を阻まれるのですが、ここでイスラム教徒の大嫌いな豚肉が効果を発揮しました。宗教心を汚され怖じ気づいた兵士達は荷物を良く調べることもできず、ふたりは検問をくぐり抜けて船は出港、遺骸は見事ヴェネツィアに持ち帰られたのです。

 まあ、こんなお話がつたわっています。
 ここでポイントなのは「聖マルコの遺骸を買い取った」というところでしょうか。タダで引受けたらいずれ返さにゃなりません。このあたりのビジネスセンスがまさにヴェニスの商人の面目躍如で素晴らしいのですけど、そもそも{この物語自体が作り話だった」という説が濃厚で、実は、この聖マルコの遺骸は盗んできたものらしいのです。

 一説には「マルコの代わりの『対価』として置いてきたのは聖クラウディウスの遺骸だった」というのもあります。マルコの遺骸とクラウディウスの遺骸をすり替えて持ち去ったのだというのですが、聖クラウディウスは3世紀の石工で、ディオクレティアヌス帝のためのギリシャ神像製造を拒否して殺された4人のうちの1人という、これもだいぶマイナーな聖人で、残念ながらアレクサンドリアの僧たちが聖マルコ様と喜んで交換してくれるような人でないのは明らかです。

 聖マルコ遺骸奪還の物語には他にもいろいろとエピソードがあります。
 そのマルコの遺骸がイスラム教徒の関心を引いたのは「神性にして強烈」な臭いを放っていたからなのだが、その臭いを消すためにトリブーノとルスティコが遺骸をマストに吊るすと、さすがの聖なる悪臭も地中海の風に運ばれてかき消されてしまったのだとか、途中の海でふたりの船が猛烈な暴風雨でにあうものの聖マルコに祈りを捧げるとたちまち嵐は収まったとか、聞けば聞くほどうさん臭い与太話が並びます。

…もっとも、そのお骨が本当に聖マルコのものだったのかも怪しい限りで、精神世界は「言った者勝ち」なところもありますし、フライドチキンでもイワシの頭でもなんでも良かったのかもしれませんね。




ヴェネツィア、完全なる自治権を獲得する
 さて「ヴェネツィアにマルコ様が着た」という大事件は、今で言えばちっちゃな田舎町にヤンキースとレアルマドリードを同時に誘致できちゃったような話です。町興しにこれ以上のチャンスはありません。
 かくして元首と司教は怪しげな「聖マルコ様」を気絶せんばかりの感涙を持って迎え、ヴェネツィア中の住民は連日毎夜熱狂的なお祭り騒ぎ。遺骸を祀るためにサン・マルコ大聖堂が立てられ、旗にも聖マルコにちなんだマスコットキャラのライオンが縫い取られ、やがて、いつのまにか「ヴェネツィアといえば聖マルコ様の街だよね。すごいよね」というイメージが街の外にも一般化しちゃいます。

 それから13年後の840年、神聖ローマとビザンツ帝国の間でヴェネツィアに関する地位協定が改定されるのですが、公文書のなかで、それまで「ヴェネツィア周辺の領主」と呼ばれていた元首は、なんと「誉れ高きヴェネツィアの君主」と改称されるようになり、完全なる自治権を両超大国から保障されます。
ヴェネツィアはローマやナポリやフィレンツェに比肩する都市国家になったのです。


 
 
 
 

 
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